(「反対派集会」のつづき)

 「反対派集会」では、反対派住民たちが口々に、どれだけ猫の糞害で被害を被っているのか、という発言が、繰り返し、繰り返し続いた。

そして、ボランティアは目立つために、ボランティアとは無関係な猫の被害まで全てボランティアのせいにされてしまう。実際、そのボランティアが活動している区域では全ての猫の避妊去勢手術が終わり、猫の数は半数以下に減っているのに、そこから全く離れた民家の住民が、子猫が増えている、猫の糞があるとそのボランティアに怒りをぶつける。実際は猫の行動半径は狭く、縄張りがあり、都会ではワンブロックも離れると全く違う猫たちの縄張りになっていることが多い。

また、ボランティアが堂々と活動をしていると、ボランティアとは数回くらいしか話をしたことのないような人や全く面識のない人までが、餌やりを注意された際に、〇〇さんのお手伝いをしていますとか、〇〇さんに許可をもらっています、などと言い、勝手にボランティアの名前が使われることも少なくない。この地域でも同様のことが起こっていた。

こういった誤解を解くためには、ボランティアが実績を示す必要がある。ボランティアが活動している区域では、元々何匹の猫がいて、何匹の猫に手術をして、何匹の猫が減ったか。数で示すことが大切だ。そういうときのためにも、猫ボランティアは「猫カルテ」を作るなどして、日ごろから猫の個体識別をし、キチンと猫の数や状態を把握しておく必要がある。そして、自分の活動区域はどこで、どこかの地域の問題となっているような餌やりさんとは無関係であることをきちんと伝えないといけない。

その集会では、ボランティアが世話をしている猫と被害を受けている地域の猫が別であること、乱暴な態度を示す餌やりさんとボランティアが無関係とについて、ある程度理解してもらったように思う。それでも、地域猫には反対という声が収まることはなかった。
もちろん、一度だけの、しかも反対者だけの集会で理解が進むわけはなく、幅広く住民を集めての話合いが何度も必要だと思う。

しかし、何より大きな誤解は、猫の問題をボランティアや行政だけの問題にしてしまうことだ。野良猫問題は、地域の問題として地域住民一人ひとりが取り組みに理解を示し参加すると解決が早い。糞害を解決した大阪市の公園の例でも、周辺住民が自宅のガレージや庭などに野良猫用のトイレを設置するなどして活動に協力した結果、成果が表れたのである。

オブザーバーとして、そういう糞尿被害抑制の取り組みをご紹介したのであるが、「トイレはだれが掃除をするのか」という反論が続いた。同席していた行政職員が、「みなさんが協力して取り組まないとボランティアだけでは手が回りません」とフォローしてくれていた。
「毎日、毎日、庭の芝生に糞をされる。芝生の掃除は大変なんだ」とおっしゃるその手間を、猫トイレの掃除にまわしていただいた方がはるかに楽だと思うのであるが、そういう風に理解していただくのはなかなか難しいものだ。

被害者意識が強く根付いている限り、誰かを加害者にしなければ気が済まない。そして、地域の猫問題の解決に貢献しているはずのボランティアが往々にして加害者に祭り上げられてしまう。だが、野良猫問題の解決の早道は、住民が被害者意識から、地域の問題であるという当事者意識に切り替わってもらうことが一番なのだ。
これは猫だけの問題に限らない。地域の問題に地域で取り組むという参加の意識が、コミュニティの再生であり、街づくりにつながっていく。地域猫とは、そういう街づくりの取り組みである。

(いつか続く)


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時々、地域猫に関して所々の町会の会合に呼ばれることがある。
助っ人として、ボランティアさんや推進派の役員さんに同行するのが普通のパターン。
ところが、自分ひとり呼ばれ、「餌やりをやめるように説得してもらえないか」と頼まれたりすることがある。

餌やりをやめさせることは難しい。餌やりをやめさせるより、地域で猫を管理することにして、餌やりさんをちゃんとした給餌当番にしてしまった方がいい。もちろん、話にならない、いい加減な餌やりである場合もあるが、少なくとも、地域で猫を管理するという姿勢がなければ、いい加減な餌やりを諦めさせることも出来ない。

そういう話をすると、「一体、誰が猫の手術だとかトイレの躾だとかをするのか」という話になって進まなくなる。主体的に取り組もうとするボランティア抜きで話をしているのだから当然だ。実際、野良猫の世話など、頼まれてやっても続くものではない。それを思うと、少なくとも避妊去勢手術の意識を持ったボランティアがいる地域は、実は恵まれた地域なのだと思う。
意識を持ったボランティアと地域がうまく結びつけばいい。そういうコーディネートをすることが地域猫制度における行政の役割だと思う。

先日、オブザーバー参加したある町会の会合はまた、独特なものだった。その町の自治体には地域猫制度があり、町会長の同意を得てボランティアが活動を始めたのであるが、野良猫の糞尿被害に迷惑を蒙っている住民がこれに反発。町会長の同意を撤回し、ボランティアの活動をやめさせろという、反対派住民による緊急集会だったのである。

地域住民からこのような反発が生じる原因のひとつは、「町会長の同意があれば手術費用を助成します」という中途半端な行政の「地域猫制度」にある。そういう制度では、実際には有志のボランティアだけが町会長のハンコをもらって活動をしていることが多い。本当に地域としての取り組みとはなっていない。
行政の本音は、「町会長の同意を得ているのであるから、後々、トラブルが起こっても地域で解決してほしい」という言い逃れだ。実際に、「トラブルが起きて苦情が入っているから、餌やりをやめてください」と一方的にボランティアに「指導」するような自治体がある。ボランティアにすれば裏切りであろう。

だから、餌やり行為を伴う地域猫の取り組みとTNR活動は切り分けるべきだ。捕獲した野良猫に避妊去勢手術を施して元に戻すという純粋なTNR活動は、野良猫の繁殖を防止することだけが目的で、そのあとの猫のケアは含まれていない。「餌やりは放っといて、まず、猫の繁殖を防止しましょう」というスタンスでTNRを専門に活動しているグループも少なくない。

TNRと餌やり行為を一緒にして、町会長のハンコを「条件」にしてしまうから、ややこしくなる。その分、手術が遅れ、猫の繁殖に追いつけなくなる。
行政が、餌やりを含む猫の世話をあわせての同意を求めるというのであれば、それは地域猫の取り組みであって、行政は本腰をいれて地域の中にはいっていかなければならない。
それなのに、町会長のハンコがあればいいといって、町会長とボランティアに責任を押し付けてしまうと、住民同士の軋轢を生む。そのうち、軋轢をおそれて同意書にハンコを押さない町会長が増えてしまうかもしれない。
そして何より、どうして、町会長のハンコをボランティアがもらってこなければならないのだろう?
取り組みの中心となるのはボランティアだろうし、地域を説得して巻き込んでいくのもボランティアの力量にかかっている部分が大きい。だからむしろ、地域合意の場面では、ボランティアと地域をコーディネートし、地域の取り組みとして町会長のハンコをもらってくるのが行政の仕事なのではないだろうか。

「反対派集会」の話はまだ続きがある。それは次回に。

(そのうち、つづく)


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行政の広報紙に「地域の合意を得ないで野良猫に餌を与えないでください」と書かれてるのを見た。これは全くイケてない。普通に「野良猫に餌をやるな」というのとどこが違うだろう?

地域猫という言葉は、ここ10年くらいで急速に広まった。
しかし、地域猫という言葉を行政だけでなくボランティアも重宝したあまり、現在では逆に、「地域合意がない餌やりは違法だ」というような誤った理解を流布させてしまった感がある。
地域猫と呼ばれるためには地域合意が必要だけれども、かといって、地域猫でなければ野良猫に餌を与えていけないという決まりはない。

以前、地域猫の活動には発達段階があると書いた。
地域猫以前の個人的な活動として、適正管理活動がある。これは、結果を顧みない野放図な餌やり行為とは異なる。適正管理活動とは、猫に避妊去勢手術をしてその繁殖を防止し、適切に給餌をして糞尿等の対策を行うことであるが、清掃活動と同じく、地域の環境保全という公益にかなう側面を多くもっている。
適正管理をするのに地域合意が必要だというのは、個人で清掃活動をするのにも地域の合意が必要だというのに似ている。

公園や道路で猫に餌を与える人を「地域合意がないから」といって規制しても、自分の敷地の庭で野放図に餌を与えている人には全く規制が働かない。基本となるのは適正管理という考え方なのである。
その適正管理という考え方を街全体で共有して、「共生の街づくり」をめざすのが地域猫である。猫が地域に受け入れられるための活動とは、そのような、「共生の街づくり」をめざして働きかけていくことだ。「地域合意」は常に目指すべき方向性であるが、活動のための必須条件ではない。

間違ってならないのは、「地域合意」とは「餌やりの許可」のことではないということだ。
地域ぐるみで一緒になって取り組むということの合意である。
その取り組みは個人レベルでの適正管理の積み重ねなしには進まない。

(たぶん、また続く)


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