地域猫という考え方は、「排除から共生へ」「殺すことから生かすことへ」の発想の転換だ。いや、長いスパンでみれば発想の転換というよりは、回帰かもしれない。地域猫が成立するかどうかは、極めて単純な1点にかかっている。それは、地域住民が野良猫を許容するかどうか、という問題である。

日本人が生活の快適さを凄まじい勢いで求めた経済の高度成長の時代以前は、野良猫とも飼い猫とも区別のつかない猫があちらこちらに見られ、それを怪しむ人はほとんどいなかった。猫は多くの場合、ネズミを捕食させるために放し飼いにされ(明治時代にはペスト予防のために猫を飼うことが政府によって奨励されたりもした)、猫が街中をうろうろしているのは当たり前だったのである。
放し飼いにされ、半野良状態で生かされるのが当たり前の状態が長く続いていたのに、日本人の生活様式が変化してくると野良猫といって嫌う人が増えた。その一方で、ペットブームが起こると逆に気軽に捨てられる猫が増えたりする。なんとも身勝手な人間の都合で、猫が野に放たれ悪者にされている。

生活様式の変化にともなって、猫も完全室飼いにしようというのが一つであり、不幸にして人間によって野に放たれてしまった猫とその子孫は、1代限りとして、せめてその生を全うさせてあげようというのが、適正管理あるいは地域猫の考え方だ。そして、元々半野良状態で地域に定着していた猫を、時代に合わせた形で再び受け入れるのが地域猫である。
地域に再び猫が受け容れられるための条件とは何か。実践的な部分では、まず増えすぎないように避妊去勢手術を実施することだし、餌場を清潔にし、可能な限り糞尿対策を施すことであろう。そして、橋渡し役のボランティアそのものが、地域に受け容れられるかどうかということは決定的な問題でもある。地域住民を啓発していくのは、ボランティアの真摯な活動の姿であって、理屈ではない。

人間とは不思議なもので、猫の世話をしている人間を不愉快に思うと、猫には何の罪もないのにその猫まで不愉快な存在に思えてくる。逆に、猫の世話をしている人間を受け容れると、その猫も受け容れた気持ちになる。「猫のトラブルは人間同士のトラブル」とは誰が言い始めた言葉なのかわからないが、それは、「猫が受け入れられることは人間が受け容れられること」でもある。

だから、地域猫は難しい。身勝手な人間社会の犠牲となっている野良猫の救済を一市民に過ぎないボランティアが全て担うのは余りにも荷が重く、行政による啓発やフォローは不可欠であるが、実践の部分ではボランティア以外に野良猫たちを救済できる者はいない。
地域の「合意」らしきものが得られて、猫の世話を引け目なくできる状態になるまでが大変であるが、それはまだ入り口で、地域で野良猫が許容され、地域で見守るというところまでいかないと、ボランティアだけがいつまでも必死になって活動をしなければならない。

偉そうなことを書いて叱られるかもしれないが、「餌を与えることができる状態」で自己満足していては、野良猫が本当に地域に許容され、共生する社会は実現されない。活動そのものに地域を巻き込んでいく。あるいは行政を動かしていく。そういう働きかけを経て「共生の街づくり」が実現していくであろうが、その取組みは真摯な活動を続けるボランティアにしか出来ない。
地域社会と野良猫との橋渡しはボランティアが担っている。大変なことではあるが、ボランティアの一挙一動に野良猫の未来がかかっている。活動そのもの、つまりボランティア自身が地域に受け入れられるように努めていただきたい。そして、地域や行政を動かしてほしい。不幸な猫を減らし、共生社会の実現のために頑張っておられるボランティアに、当ブログは最大限のエールを送り続ける。

【突然ですが、書籍の紹介】
「ノラネコの研究」文:伊澤 雅子、絵:平出 衛、福音館書店 1,365円

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1994年に発行された小学校中級向けの絵本であるが、ネット販売などで購入が可能。著者は哺乳類の研究が専門の琉球大学教授。
「アフリカの草原やアマゾンのジャングルへ行かなくても、動物の観察はできます。たとえば近所のノラネコ。」というような書き出しで始まるこの絵本は、「わたし」が野良猫の「ナオスケ」の後を追い、観察するという内容。
冒頭に、その街に住んでいる猫たちみんなに名前を付けてそれぞれの特徴を書いた「ネコカード」を作る、という作業が紹介されており、、これが野良猫を適正管理する上での作業と同じで妙な共感を覚える。
難しい言葉で書くと、同じ空間を時間差で共有している猫同士が偶然にも出会ってしまった場合にどのような行動をとるか、というような動物行動学的な内容まで精密なイラストとともにわかりやすく描かれている。

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子供が野良猫に興味を持つきかっけとなる良い絵本だと思う。いや、子供にだけ読ませるのはもったいない。
絵本の舞台は、九州の海辺の小さな町ということで田んぼや空き地があり、田舎ではあるが、都会の猫はどうしているのか。「わたし」に成り代わって観察してみるのも面白いだろうと思う。

(やがてつづく)


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