街角の公園で「猫の餌やり禁止」という看板を見ると少々悲しくなる。まずは、猫問題で困っている住民の姿が想像されるが、同時に、禁止看板を立てることしか思い浮かばない公園管理者の発想の貧しさや行政としての総合力の欠如を感じてしまう。

通常、「餌やり禁止看板」は行政のアリバイ作りだ。
餌やりに対する苦情がきました => 公園管理事務所は禁止看板を立てました => おしまい。
あとは、餌やり反対派が餌やりをつかまえ、「餌やり禁止って書いてあるだろう!」と文句をいい、住民同士の不毛なバトルが展開される。行政が進んで関与することはない。禁止看板で問題が深刻化したり潜在化することはあっても、それで問題が根本的に解決したという話は聞かない。禁止看板で問題が解決するならば、とっくの昔に猫問題は解消している。

少し前のこと。ある中核都市の公園課の課長さんとお話をした。公園の「餌やり禁止看板」を外してほしいというボランティアさんの訴えに対して、課長さんは、
「関係法令で公園を汚損することや迷惑行為を禁止している。餌やりは行為は違法であり認められない」
と答えた。これは、多くの意味で間違いだ。

まず、公園の汚損についていえば、餌やり行為そのものは汚損行為にならない。また、都市公園法などの公園関係法令に「迷惑行為」という具体性に欠けたものをひとくくりに禁止する条文は存在しない。そもそも何が迷惑行為なのか曖昧過ぎて、自治体の公園条例でもそんな条文は書きようがない。

法律の条文云々よりも深刻なのは、「餌やり行為=迷惑行為」という、一方的な思い込みだ。そういう思い込みは一般市民にも強く、理解を得るのが適正管理活動や地域猫活動の大きな課題だ。しかし、役人が同じような感覚ではいけない。まして、違法行為だと決めつけるのは大変に問題がある。

課長さんは、ようやく、
「地域が合意して、町会長から依頼があれば餌やり禁止の看板を外すかどうか検討する」
ということを言った。ただし、町会長のハンコだけではだめで住民全員の総意が必要だという。

こういう時は言うべきことを言わないといけない。
地域住民の総意があれば認めるというのであれば、最初から法令による禁止はされていないということを自らお認めになっているんじゃないですか。公園の「餌やり禁止看板」には法的拘束力がなく、任意の協力を求める行政指導でしかない。しかも誤った法解釈による行政指導であって、我々はそんな看板は無視しても差し支えない。そのように理解しても構わないですね?

そこまでいうと、課長さんは、
「猫の糞害で迷惑をしている住民がたくさんおられるんだ!」
と大声で言った。

公園課の課長さんの言い分もわからないことはない。公園を管理する立場からすると、ねこへの給餌行為は苦情の原因となりやすく、段ボール箱の無断設置や糞尿による悪臭、汚損の発生などで公園の維持管理に支障をきたす。公園で餌やりをさせているから、近所の家の庭で猫が糞をするという苦情もくる。そういう苦情を繰り返し受け続けてきた公園管理者にとって、猫の餌やりほど、迷惑極まる行為はないのだ。

だけど、そういう「迷惑な餌やり行為」と今やっている適正管理活動とは中身が全然違う。
ほっておいても、猫の避妊去勢手術をしてくれ、掃除までしてくれるボランティアをどうして行政はうまく使えないのか。
野良猫の適正管理は、清掃活動と同じで公益性を持っている。公園は自由使用が原則であり、公益に反しない限り、公園管理事務所の許可や地域の合意は不要である
もちろん、地域が一緒になって猫を適正に管理する形が理想であり、目指すべき方向ではあるが、その前段階で行政が「餌やり行為そのものが違法」だと言っていたら、地域合意が進むわけがない。

公園管理事務所は、「法に照らして、公園の汚損になるような置き餌は禁止するけれども、個人の餌やり行為そのものは禁止していない。その上で、地域として適正管理活動に取り組むかどうかは、地域の判断である」という立場でないと、地域活動そのものを不当に阻害することになる。公園管理事務所がニュートラルな立場になった上で、住民の合意形成については、地域猫制度を持つ動物管理センターが制度の趣旨に従ってフォローしていく。あるいは、街づくりの担当部署が地域の取り組みをフォローしていく。そういったことが、行政としての総合力の問題である。

結局、その日は課長さんの「お持ち帰り」ということになった。行政をやりこみることが目的ではないので、これからも話し合いを続けていく。

(いつか続く)


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